私たちは、「与える人」からきっと幸せになっていく。

こころのこと

こんにちは^^花子です♪

今日は、人に与えることが大好きな親戚のおじちゃんから教わった「与える人が輝く理由」について、花子なりに思うことをお話してみたいと思います。与えることで人はなぜ輝くのか?何が本当の幸せな人生なのか。

このおじちゃんのような与える人生をいつか送りたいと思う花子の独り言、よかったら覗いて行ってください^^

「人生に悔いはない」理由

「人生悔いない」

これは私の大好きな親戚のおじちゃんがよくつかう言葉です。花子には、祖母の家に帰るたび孫のように可愛がってくれるおじちゃんがいます。
おじちゃんがよく使うこの「人生悔いない」という言葉。

皆さんは今、口にできるでしょうか?

おじちゃんが「悔いない人生」と言える理由は「人生をずっと全力で生きてきたから」それは近くで見ていると花子にはよく伝わってきます。

小学5年生でカメラに目覚め、カメラ小僧になったおじちゃん。

家にある父親のカメラを持ち出しては怒られ、社会人になってやっと自分のカメラを買って以降、嬉しくてカメラを片手に毎日歩き回っていたそう。

そして学生で伝統芸能である鬼剣舞に打ち込みます。

(こんなの。)

数々の賞を取り、全国各地海外でもその踊りをたくさん披露してきました。

今でも鬼剣舞のことを語らせるともう止まりません。そのくらい、好きなことに熱中して打ち込んできたおじちゃん。


今でも何かに打ち込むその姿は健在で、私と妹が帰るたびに観光につれてってはカメラで私たちを撮り続けます。
私たちが楽しんでいるところを本人以上に嬉しそうにシャッターを押すおじちゃんは、翌日の朝イチで現像し、写っている人の家に持って行って渡します。

「旅の思い出だよ〜」

現像したての写真を朝イチで持ってこられたことが花子も何度もありました。

こんなに人のためだけに朝早くから動ける人がいるのでしょうか?笑

そんなおじちゃんは現在80歳。それでもまだまだパワフルなのです。

今でも現役で、旅行会社の添乗員をしながら「誰かが喜ぶこと」を考えています。

「人生悔いない」今も全力に楽しそうに仕事に打ち込む姿からも、この言葉がしっくりきます。

与えることが生き甲斐


おじちゃんの生きる糧は「与えること」

添乗員の仕事も「お客さんの笑顔を見たい」そんな動機ではじめました。仕事以外では、歩けなくなった100歳近くになる自分の小学校の担任の先生を車で観光に連れて歩いたり、朝4時に起きては裏山に山菜を採りに行き、朝一で近所や親戚に配り終えてしまったり。

震災の時には支援物資の提供と自身のトラックを貸すために何度も被災地に通いました。

おじちゃんの中にある主語は常に相手。「誰々は何をしたら喜ぶだろうか」そんな普通の人が出来ないような考えをすぐに実行してしまうおじちゃん。

物心ついた頃、おじちゃんとその周りには常に笑顔で溢れていることに花子は気づきました。

与えるから与えられる

おじちゃんは決して裕福な暮らしをしているわけではありません。でも日常から人に与えているからこそここぞというピンチの場面では「○○さんのためなら」と必ず誰かに助けてもらえます。

花子は幼い頃からそんな場面をいくつも見て来ました。

そんなふうにおじちゃんの家や日常にはいつも「与えた人」からのお礼が溢れています。

楽しく与えたことが結果的に与えられて戻ってくる

最高の循環がおじちゃんの住む世界には存在しているように思います。

与えながら生きる人は光続ける

与えなが生きる人生を選ぶということ、それは最高の循環の中に身を置くということなのかもしれません。そしてもう一つ気づいたことがあります。おじちゃんはいつも「光っている」ということ。

遠くからみても「あ、おじちゃんだ!」と分かるくらいに光っています。

だって80歳になった今でもツヤツヤで常に満面の笑顔なんですもの。

そんなおじちゃんを見て花子は思いました。「与える人は輝くんだ」と。

花子は最近思います。最高の人生って、自分も周りも幸せでいることなんじゃないかと。

それならまずは、自分が与える存在になりたいと思ったりするのです。

わたしはまだおじちゃんほど眩しくはなれません。

でもいつかおじちゃんみたいに与えながら光って生きる。それが今の花子の目標です。

皆さんも、与えながら光り輝く人生を。

花子でした♪

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